レポート

人との繋がりが生み出したブランド豚

八鹿畜産 養豚部

2016.04.22

今回は養父市のブランド豚『おだがきさん家の八鹿豚』でお馴染の、八鹿畜産 養豚部で養豚業を営む 小田垣さん親子を取材させて頂きました。幻の豚とも呼ばれる八鹿豚はどうやって誕生したのか。何を隠そう私きっしー『幻』とつくものには目がないんです。この取材胸が高まります!

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八鹿畜産 養豚部を営む小田垣さん親子
左から父 護さん、姉 縁さん、弟 幸宏さん、母 みえ子さんです。
現在は縁さん、幸宏さん姉弟が3代目として、主となって経営を行っています。

 

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八鹿畜産 養豚部は1978年に縁さん、幸宏さん姉弟の祖父である小田垣恂二さんが組合長を務め、7農家が8棟で開始されました。組合農家の方々と力を合わせ、日本がバブルの好景気に沸いていた当時は収益も安定し、養豚業も順調に行われていたそうです。

生き物を相手にする仕事。家にいてもどこにいても、とにかく農場のことが気になり、家族揃って旅行に行くことも出来なかったそうです。護さん、みえ子さんご夫妻も2代目として地道な努力を重ねられ、八鹿畜産 養豚部を守り育てて来られました。

 

 

201604_八鹿畜産_11「私はもともとサラリーマンをしており、養豚とは無縁の世界で生きてきました。婿入りして養豚業に携わるようになったので経験不足な所もあり、不安から農場に泊まり込むようなこともよくありました。日々一生懸命に養豚を行う日々でした。本当は私の代でもっと機械化や効率化を図りたかったんですが、そこまでの余裕もなくて…。今、若い2人に代を譲り経営を任せておりますが、その点申し訳なく思っています。」

バブルの好景気が終わりを告げると、豚肉の販売価格の下落や飼料価格の高騰などにより経営が悪化し、組合の中で養豚を辞めてしまう農家が相次ぎます。そして2012年にはとうとう小田垣家を残すのみとなってしまいました。

このままでは終われない

縁さん、幸宏さん姉弟が経営を担うようになってからも、販売業者・飼料メーカーからの要求などがより厳しいものとなり、一時は小田垣家も廃業の危機に直面したそうです。

熱いまなざしで当時を振り返る縁さん。ご本人曰く祖父譲りの『負けず嫌い』なのだそうです。八鹿畜産を養豚部立ち上げられた祖父 恂二さんは、どんな状況や相手であっても、表情を変えることなく対応され、相手の本質を見極めるのに長けた方だったと言います。その姿を見て育った縁さんにとって、祖父の姿は憧れであり、目標なのだそうです。

201604_八鹿畜産_15「3年程前までは、そういった様々な制約に阻まれて自分達の思う経営や飼育方法も許されず・・・本当に悔しい思いも沢山してきました。それでも『祖父が立ち上げ、父と母が守り育ててきたこの八鹿豚と言う名を このままでは終わらせられない。どうせならやれるだけやってやろう!』という想いがありました。」

女性としての繊細さと、頼もしさを併せ持つ縁さん。これほどの心の強さはどこから来るのでしょうか。そのヒントは縁さんの高校時代に遡ると見えてきます。

 

201604_八鹿畜産_0325縁さんは高校進学にあたり、何か動物に関われる仕事がしたいと但馬農業高等学校 畜産科に入学されました。
そこで先生からのアドバイスやご両親の働く姿を見ているうちに一つの決意をされます。
それは『八鹿豚を但馬牛の様な全国に誇れるトップブランドにする』と言うものでした。
当時この想いが詰められた文章を第54回日本学校農業クラブ全国大会で発表され最優秀賞を受賞されています。そしてこの時、家業を継ぐことも決心されたのだそうです。

 

その後、東京農業大学短期大学部で本格的に畜産を学ばれ、地元に戻りブランド豚開発への挑戦が始まりました

『八鹿豚のブランド化』は地域の後押しがあってこそ

豚の肉質や旨みは、飼料によって大きく変わります。しかし当時の飼料メーカーから配合などの変更は制限されていた為、差別化された肉質の豚を生み出すことは出来なかったんです。
そこで、それまでの飼料メーカーとは縁を切るために困難な条件をクリアし、自分たちのやり方でブランド豚を開発することにしました。それが約3年前の事です。」

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若くして大きな決断をされた縁さんと幸宏さん。
しかし、その勇気ある決断が周りの人々の共感を得て、様々な『縁』に恵まれ地元の洋菓子店『カタシマ』さんのケーキの切れ端を餌として与える工夫や、1区画あたりの飼育頭数を減らすことで豚がストレスフリーで育つ環境を整え、これまでの豚と比較して格段に旨みの高い豚を育てる事に成功されました。

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「本当に人との『縁』には感謝しています。この『縁』がなければ今、私たちはこうしていられなかったかもしれません。特に『オーシスマップ』 の大林社長には感謝してもしきれないぐらい感謝しています。私たち姉弟が3代目として経営を任されるようになって間もないころ、地元地域活性化の集まりで 八鹿豚についてプレゼンをさせて頂く機会があったんですが、その時に私たちの作った資料を見られた大林社長に『これは地域活性化に繋がる!』と声を掛けて 頂きました。その後いろいろな方を紹介して頂いたり、ご縁を取り持って頂いたおかげで、より一層地域の後押しを受ける事に繋がりました。」
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様々な逆境にあっても養豚農家として生き残る為に、必死に奮闘される小田垣さん一家に感銘を受けられたのでしょう。『他の人が3 年でやることを1 年でやってしまうつもりで頑張れ!』と激励で頂いた言葉は、縁さんの心にしっかりと刻まれているのだそうです。

家族で叶える夢 ~ 地域で叶える夢

現在、八鹿畜産 養豚部は小田垣さん親子4人のほか 2 名の従業員を加え 計6人体制で経営されています。

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「両親のやり方をずっと見てきて、見習うべきところや良い部分については、もちろんそれを受け継いで守っていかなければならないんですが、非効率な部分や時代にそぐわない方法は、どんどん自分なりのやり方で変えさせて貰っています。」

 

201604_八鹿畜産_37そう語るのは弟の幸宏さん。普段は口数少なく寡黙に農場の仕事に取り組まれておられますが、その心は姉に勝るとも劣らない熱い気持ちで満ちており、誰よりも家族を想う頼れる存在なのです。家族・従業員の体を考え、負担を軽減するために、みんなが元気に仕事が出来る環境を大切にされているのです。

「自分不器用ですから・・・姉ほど上手くは喋れないし、そういう部分は姉を信頼して任せていますし、自分は自分に出来ることを毎日精一杯取り組むだけです。あとは効率化と言っても生き物を相手にする仕事なので、それに対する感謝や敬意というのは常に持って・・・そうやって真面目に取り組んでいくことで豚もそれに応えてくれるっていうか・・・それがブランド化の本質の部分だと思うんですよね。」

 

イ、イケメン・・・(〃Д`*) ちなみに幸宏さん(29)嫁募集中だそうです!好きなタイプは・・・やさしい人とのこと。全国の養豚に興味のある女性の皆さん、要チェックです!

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八鹿町伊佐にある『カフェレストラン ベリッタ』ですね。
ベリッタでは、八鹿豚を一押しメニューとして扱って頂き、八鹿豚を使った様々な料理が楽しめ、とっても美味しいです。

あと八鹿病院内にあるレストラン『ライス』もおススメです。
病院内にあるので、あまり知られていないのですがとても美味しいですよ。
実は八鹿豚をいち早く使って頂いたレストランでもあるんです。

『ベリッタ』の評判は私も良く耳にしますし、何度か食事したこともありますが甘みがある肉質でとても美味しいです!『ライス』は隠れた名店というイメージでしょうか!
一度是非食べに行ってみたいですね!
小田垣さん一家、今日は本当にありがとうございました!

 

八鹿畜産 養豚部

〒667-0003 兵庫県養父市八鹿町宿南2543‐62
tel.079‐662‐2722